昭和45年09月29日 夜の御理解



 先程まで皆さんとご直会を頂いて居りまして、寝ませて頂いて、もう寝ませて頂く時から、今日はまた誰かショウの先生から、誰かほかの先生方に夜のご祈念つかえて下さいと。もうとてもキツイトと 頂き過ぎとるトでそんな感じでした、あるいはあの久富さんの奉仕を受けさせて頂きながらうとうとして居りました。けれどちょっと目を覚まして、何時ですかチュウたら、まだあのご祈念の時間前ですといわれた。
 その時にあのいわゆる最近申しております「願い」と言う事ですがね。願いと言う事思いましたら何かこう、キツカツが一片にファーと、こうもうそれこそ飛び起きる様な、なんかあのうものを感じましてね、それからすぐあのう顔を洗ってから、からまたすぐここに座らせて頂いて まあいつもより今晩のご記念は、私は生き生きとしてさせて頂いた様な気がするんです。
 ですからあのう如何に あのう私が言っておる願いと言う事は、あのう打てば響く程、神様が受けて下さるものかと言う事が分かりますね。私いうて居る内容ですね、ですからこりゃどこまでやはり思いというものに至って来なけりゃなりません、こりゃ何でも同じことですけど、そういう私はどんなにキツイ時でも、願いと言う事を思うたら元気が出るくらいな。私はあのう願いが 願えれる信心を頂かにゃいけんと思いましたですね。
   どうぞ。